参加者のインタビュー記事

<なぜ、妻や彼女を殴ったのか? ―加害男性たちの脱暴力化を追う>
加害男性たちは、なぜ一番大事なはずの妻や彼女を殴り続けたのか?そして、自らの暴力を乗り越えることはできるのか?過去の過ちを償いながら、暴力をふるった自分を見つめ直す「男達の脱暴力化」を追った。
・DVを繰り返した20~30代。 怯えて部屋の隅でうずくまる妻
 最初、アドレナリンが出まくっているように頭の中が煮えくり返る。次にくるのは、怒鳴り、殴っている時の、 がスッとするようなカタルシス。そして、暴力の後、決まって猛烈な罪悪感に苛まれる。「自分はどこかおかしいのではないか?」。お酒を飲んで暴れては彼女を痛めつけてフラれ、また殴ってはフラれる。川口さん(47歳、仮名)の20~30代は、ずっとその繰り返しだった。それまで川口さんと交際した女性で、何の被害もなかった人はいなかった。「きっかけは、いつも些細なこと。夕食の味付けが気に食わないとか、野菜の切り方が悪いとか。飲食店などでは店員の態度が悪いと、何の非もない彼女につっかかって、平手打ちを食らわしたり。肋骨にヒビが入るほどのケガを負わせたこともあった」。
39歳で結婚した妻とは、わずか8ヶ月で別居。数日後に失業したこともあって、自暴自棄になり、その時、初めて自分が傷つけてきた女性の痛みや苦しみを知った。
3年前、裁判所から保護命令を受けた上田さん(42歳、仮名)の場合は、結婚後ほどなくして手が出るようになった。妻の家事のルーズさが、気に入らなかった。「ちゃんとせーや!」。注意すると、妻は「結婚前に、整理整頓などは苦手と言っておいた」と返してきた。「なんて向上心のない人間なんだ、根性を叩き直してやる」。仕事をしながらも早朝起床、深夜まで家事をこなす母親の姿が重なっていた。ケータイのメールに見知らぬ男性とのやりとりを見つけ時は、ケータイをぶち壊し、歯が折れるほど殴った。暴言、暴力を受けるうち、妻は無気力状態になり、それをどうにかしようと思い、また暴力がエスカレートした。手を出すのは、2人の息子に対しても同じだった。だが、妻が自室にひきこもり、上田さんの姿を見て怯えて部屋の隅でうずくまるようになって初めて、事態の深刻さに気づいた。そして、自分がDV加害者であることを知って、「愕然とした」。それまでDVという言葉さえ知らなかった。
・「男らしさ」に縛られ、弱い自分を大きく見せようとしていた なぜ、妻や彼女を殴り続けたのか?自らの暴力は止められるのか?
そんな答えを求めて、川口さんと上田さんが通い始めたのは、メンズサポートルームの男性の脱暴力化を目的にした「男の非暴力グループワーク」だった。そこでは暴力を止められない男性たちが、自らの感情・体験を自分の言葉で語り合い、家庭内で暴力なしで暮らす方法を学んでいた。川口さんはそこで、どうして自分が暴力や酒の力を借りなければいけなかったのかを、おぼろげながら知ることができた。「男は泣き言を言わない」「女性になめられたらアカン」。そんな“男らしさ”が、川口さんを縛っていた。「ほんとは、すごく気の小さい人間。不平不満があっても、面と向かってちゃんと言えず、人づきあいも下手。そんな弱い自分を、お酒の力と暴力で大きく見せようとしていた」。
育った環境も、川口さんの暴力に深く影を落としていた。父は、極度のアルコール依存症。毎晩のように荒れ狂って母を殴り、川口さんも鼻が曲がるほどの暴力を受けた。物心ついた頃から、襖がまともに張られていることがないような家庭環境だった。だが、中学の時、父が入院して家からいなくなると、不思議と今度は自分が暴れるようになった。「父という最悪のモデルがあったから、自分は自分の暴力に対して、違うカタチで正当化していた。自分はお酒を飲むけど、父と違って仕事はちゃんとしている。暴力も母が受けた怪我に比べたら妻の方がまだマシ、自分は父ほどヒドクない。酒量や怪我の度合いの問題じゃない、生き方の問題だったのに」。
・「言葉で分からない時は、叩く」の過ち。 脱暴力より困難だった関係修復
「昔は、友達同士でよくケンカしたし、先生も親もどつく人が多かった。言葉で言っても分からない時は、叩いて分からせる。どつくのは、指導の一貫だと信じていた」。
上田さんは、暴力によって妻を教育しようとしていた自分に気づいた。単に、「男らしさ」だけの問題ではない。育った環境や会社の上下関係、一家の大黒柱という過度の責任感など、社会から受ける様々なストレスが複雑に絡み合って、上田さんの暴力行為に至るハードルを下げていた。
だが、上田さんの場合、自らの脱暴力化よりもむしろ、妻との関係修復に多くの苦痛を伴った。子どもの教育の問題などで、半年の別居を経て、再び家族との生活に戻ったが、妻は深刻なうつ病に悩まされていた。「気配を感じるだけで寒気がする」「お前なんか死ね」。妻は、ことあるごとに上田さんを言葉でなじり、「私は病気だから、被害者だから」と言っては、わがままな振るまいで責められた。上田さん自身も軽いうつ病にかかり、耐え切れなくなって自ら離婚調停を申し立てたこともあった。「わがままを許してもらったことは感謝してる。仮面夫婦なら子どもが大きくなるまでやっていける」。妻に、変わった自分を理解してもらうまで2年の月日が必要だった。
・スポ根モノから『バカボンのパパ』へ。 本当の愛を感じられるなら、叩くことなどできない
2人の元加害者の暴力を乗り越える作業は、今も続いている。川口さんは、過去のDV経験を知る新しい恋人と平穏な日々を過ごしているが、日常生活の中でのちょっとした怒りの衝動は、男同士のグループワークで話して発散する。「自分のどこが変わったかははっきり分からないけど、価値観は大きく変わった。男だからって勝たなくてもいい。今は、ありのままの自分を受け入れられる。昔は『巨人の星』のスポーツ根性モノだったけど、今は『バカボンのパパ』がいい。頼りなくても、人に笑われても、自分らしくいられるから」。
また、家族とやり直している上田さんは、今は妻子の嬉しそうな顔を見ているだけで、幸せな気分になれる。ストレスを乗り越えたり、プレッシャーに打ち勝つ人間が一番すばらしいというかつての価値観は、つまらない色褪せたものになった。「脱暴力化は、更生するというよりも、コミュニケーションのツールを増やす作業。自分の中で、喜びや幸福を感じる器官が増えたような感じ」と言う。今は、うつに悩む妻が家事をできずに「私、ダメだわ」とこぼせば、「きにしなくていいよ、しんどければ寝てればいい」と返せる。
どこまでが愛で、どこまでやればDVなのか?上田さんは、そもそもそんな問いかけ自身がおかしかった、と言う。「相手を尊重する愛を感じられるなら、叩くことだってできないはずです」。

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